戻る

◆◇◆キリストに似た者へと変えられていくプロセス◆◇◆

 何かを変えたいと思う時、“意思の力”を奮い起して、自分を変える努力をします。
しかし、こうした試みはほとんど失敗に終わります。その理由は、意思は心、体、社会的状況
の3つによって動かされるものだからです。意思は、人間に備わっている、物事を選択する
能力ではありますが、それ自体が成長したり、衰えたりするようなものではないのです。

 しかし人間は、考える仕方を変えることによって、変わることが出来ます。
考える仕方を変える事により、私達の行動が変わり、社会的環境も変える事が出来ます。
この時私達は、直接的な仕方で実現できない事を実現するために、出来る事に
集中する事、言い換えれば、間接的方法によるプロセスを経て変えられていきます。
私達は、「自分が変わりたい」と宣言する事によって変わる事は出来ませんから、
何をどのように実践すべきか(霊的訓練)、そして誰と関わりを持つのかについて吟味し、
これらを変える事によって、自分自身に変化を起す事が出来るのです。そしてそれは、
イエス様が考えるように考え、行動したように行動し、同じ心を持つ人々と時を共にする
(小グループ、またバルナバ・タイム)事によって可能となり、私達はイエス様のように
変えられるのです。

 その事は、次の4つのプロセスに分類できます。
 (1)心の中の物語を変えること
 (2)新しい実践に取り組むこと
 (3)同じ志を持つ人々と共に分かち合うこと
 (4)すべてが聖霊の導きのもとで行われること


 人間は物語によって生きている被造物です。自然と物語に惹き付けられ、その
結末まで導かれていきます。人間とは、物語る存在なのです。そして、イエス様は神様の
ご性質を明らかにするために、お話や物語、またイメージをお用いになりました。
私達はそれによって育てられ、人生を動かされていくのです。それには、正しい物語を
獲得する事が重要になります。その正しい物語を語ってくださるのがイエス様で、
イエス様の物語られた事こそが真理なのです。


 次に、その物語が心だけでなく、体と魂に対しても現実となるために、残りの生涯を通じて
取り組み、深めていく必要があります。この訓練の事を、「霊的訓練」と呼びます。
しかし、霊的訓練自体は霊的なものではなく、あくまで、私達の心を訓練し、刷新するための
有益な訓練に過ぎません。注意しなければならないのは、霊的訓練を、神や他者の好意を
得るために「律法的」に行ってしまわないことです。霊的訓練は、「魂を鍛えるエクササイズ」
なのです。

 また、霊的形成は人との交わりに参加する中で行われるものです。
霊的形成を、個人的な追求の成果のように考えがちですが、霊的形成が起こるのは、
小グループの交わりにおいてです。小グループに身を置き、他の人達から影響を
受ける事が大切なのです。

 また、霊的形成には、聖霊の働きが欠かせません。聖霊は、私たちの内側にある
物語をイエス様の物語に置き換えることを手助けしてくださいます。誤った物語から
私たちを救い出し、正しい物語を与えてくださるお方です。また、イエス様を主として、
神様を父として知る事が出来たのは、実は聖霊が私たちを真理へと導いて
くださったからなのです。
祈りもそうです。聖霊が私たちを祈るようにと静かに促し、
祈りの中で私たちを導き、そしてまた私たちと共に、私たちのために祈ってくださるのです。
また、聖霊は私たち一人ひとりに、他者の益のために用いるようにと、賜物と恵みを
与えてくださいます。クリスチャンの交わりに集う時、聖霊は働いてくださいます。
聖霊は特定の人物を選ぶというよりも、むしろ交わりに集う共同体としての私たちを
選び、それもしばしば気付かない仕方で、イエス様と父なる神様を愛する深い愛へと
促してくださるのです。

このページのトップへ戻る
トップページに戻る